以前の投稿で、フィルム写真のプリント1枚にかかるコストを考察しました。
今回は、フィルム写真のコストに見合う満足度について、個人的な見解を綴ります。
一時期、捨て値で売られている中古のAF一眼レフを集めていました。
フィルムカメラ末期には機能が完成の域に達していたので、シャッターボタンを押せば失敗せずに写真を撮れますが、同時に物足りなさを感じてしまいました。
90年代後半から21世紀初頭にかけて巻き起こった中古カメラブームは、当時のユーザーが同様な気分を感じていた事に端を発すると、何かの本で読んだ記憶があります。
AF一眼レフ後期のNikon F-90Sはフィルムに感光させるか、撮像素子で画像化するかの違いだけで、使用感は最近のデジ一眼と変わりませんでした。※個人の感想です
「簡単に失敗せず綺麗な写真が撮れる」のはユーザーが追い求め、メーカーが開発に邁進してきたテーマですが、いざ実現すると飽きられてしまった事に皮肉めいたものを感じます( ̄ー ̄)
フィルムカメラへの回帰はジャンク箱から100円で回収したAPSカメラから始まりました。
全自動は便利ですが「どうせ金がかかるなら、1枚を撮影するのに時間をかけて、じっくりと楽しみたい」という欲求に変わってきました。
フィルム撮影をカメラに全てお任せなんてもったいない。
自分の環境でプリント1枚に約50円かかるコストは、ピントと絞りを手動で決めて、露出計を見ながら、あ~でもない、こ~でもないと手間暇かける事で満たされるような気がしています。※下のセリフはコラです
「そんなに手間暇かけたいなら湿板写真でも撮れや(゚Д゚)ゴルァ!」という声が聞こえてきそうですが、そこまでやるのは割に合わないというコスト意識が自分の感覚です。
デジカメなら脊髄反射で思いつくままにシャッターを切りますが、フィルムの場合はコストが頭にチラついて「ここぞという場面」でないとシャッターが切れません。
常に「このカットは撮影する価値があるのか?」と自問しながら、噛みしめるようにシャッターを切っています。
最近手に入れたフィルムカメラは絞り込み測光という前時代的な過渡期のカメラで、先にピントを合わせてから絞り込んで露出計を作動させないと、ファインダーが暗くなってピント合わせが出来ません。(開放なら問題ありませんが、F11くらいで真っ暗です)
更に時代を遡ると、シャッターを切った後に手動レバーで絞りを開放にしなければいけない半自動絞りなんて機構もあり、古くなるほど面倒で手間のかかるものになっていきます。(時代を遡れば機能が退化するのは当たり前ですね)
全機械式や中判カメラには手順を間違えると故障したり操作不能になる機種も存在し、作法と称される手順をマスターする事で○○使いと認められる、というしきたりを以前は面倒臭く感じていましたが、今では少し解るような気がします。(カニ爪のガチャガチャとか、凄くやりたい!)
以前から二眼レフや中判カメラにも関心はあるのですが、ブローニーの120フィルムは35mmに較べてプリント1枚あたりのコストが格段に跳ね上がるので「コストに見合った被写体が思い浮かばない」ことから、ずっと躊躇したままです。
集合記念写真とか、壮大な風景を撮らないと割に合わない気がして、気の向くままにスナップなんて、宝くじにでも当たらない限り無理だと思います(^_^;)
自分の生まれ年に発売された通称バケペンことPENTAX 6x7には対戦車ライフルみたいな木製グリップのオプションがあり、先日中古カメラ店で触ったばかりなのですが、巨大なボディと古色蒼然とした操作感に圧倒されて、お迎えするには至りませんでした。
PENTAX 6x7についてはアレモコレモさんの記事が詳しいので、興味を覚えた方はぜひご一読下さい。
ヲタク界隈では馬鹿デカい火器と美少女という組み合わせが定番です。
バケペンと美少女という組み合わせにもそそられるので、以前こんな同人誌を買ってしまいました。※現在は品切れ中
根っからの貧乏性なので、当面は手持ちの機械式カメラに35mmフィルムを装填し、格安DPEでフィルム写真を楽しむ事になりそうです。