雨続きで撮影に出掛ける機会が乏しいので、ロバート・キャパの評伝「Capa's eye ロバート・キャパの眼が見た世界とニッポン」を読んでおります。
世界でも屈指の戦場写真家として知られるキャパですが、自分は写真雑誌「CAPA」の元ネタになった名前、としか認識していませんでした。
名前からして創作
そもそもロバート・キャパなる人物は実在せず、写真の仕事にありつくために創作された人名でした。
ハンガリー出身のユダヤ人、エンドレ・フリードマンが、ドイツ人写真家の恋人、ゲルダ・タローと二人で仕事をするために、アメリカ人のような「ロバート・キャパ」なる架空の写真家をでっちあげたのでした。
そもそも、ゲルダの本名はゲルタ・ポホリレで「タロー」は岡本太郎にあやかった…というのだから、訳が分かりません ┐(´д`)┌
フリードマンとゲルダのコンビは二年も経たずに、ゲルダが戦車に轢かれて死んでしまいます。
まさに「ガールズ&パンツァー」ならぬ「ガール・ミーツ・パンツァー」と言った所でしょうか。(言わない)
男と女のコンビで、女が先に天へ召されてしまい、男が一人になって役割を引き継ぐのは、昭和40年代男の自分にはウルトラマンAが真っ先に思い出されます。(ウルトラマンAの南夕子は、大人の事情で月へ還った事にされてしまうのですが)
有名になった写真がインチキ!?
キャパが世界的に著名な戦場写真家となったのは「兵士が頭を撃たれて倒れる瞬間を撮影した」とされる「崩れ落ちる兵士」がきっかけでした。
近年の検証で「崩れ落ちる兵士」が撮影されたのは、戦場ではない演習の風景を撮影したものだと判明しました。
撮影したのもエンドレ・フリードマンではなくゲルダ・タローだったことが判明しています。
沢木耕太郎のノンフィクション
「Capa's eye」より先に読んでいたのが、沢木耕太郎の「キャパの十字架」で「崩れ落ちる兵士」の真相を多角的に検証したノンフィクションでした。
本書の内容をNHKがドキュメンタリーにまとめた「沢木耕太郎 運命の一枚~戦場写真 最大の謎に挑む~」がWebで視聴出来ます。
ロバート・キャパのカメラアイ
自分はロバート・キャパと同時代を生きた訳では無いので、その名声に思い入れは欠片もありません。
キャパがインドシナ(現在のベトナム)の戦場で対人地雷を踏み、戦死する直前、日本に滞在して写真を撮っていた事に親近感を覚えました。
キャパを招聘した毎日新聞は、風光明媚な観光名所を撮らせて紙面に掲載したかったようですが、キャパはそういった被写体に関心を示さず、来日中にカメラを向けたのは市井の人々でした。
「日本は被写体のデパートや~」ならぬ
「ピクトーリアル・パラダイス」(写真の天国)
と叫びながら、キャパは嬉々として街を歩く子供や職人、舞妓といった被写体にカメラを向けました。
東京から西への移動中、ずっと車窓に映っていた富士山には、一度もシャッターを切らなかったそうです。
ロバート・キャパが漫画家だったら…
二人で一人のペンネームといえば、日本では藤子不二雄が有名ですが、仮に二人で漫画を描いていた事が後年まで明かされず、F先生が夭逝していたら…
残されたA先生は「ドラえもん」のような傑作の栄誉まで一人で受け継ぐ事になり、苦悩していたかも知れません。
あるいは、鬱屈したルサンチマンを溜め込んだA先生の怨念が「魔太郎がくる!!」や「笑ゥせぇるすまん」のようなダークな作風を開花させたとしたら…
まぁ、実際にはそんな事は無かったのですが「隠された謎」と「秘密を明かせない苦悩」には、ミステリアスな魅力が尽きないのかも知れません。