新選組史跡紀行③『五兵衛新田(金子家)』
3/12(土)に東京都足立区の綾瀬にある五兵衛新田(金子家)へ自転車で行ってきました。
掲載した写真は『OPPO Reno5 A』で撮影しています。
五兵衛新田(金子家)
甲府で敗退した新選組(当時は甲陽鎮撫隊)が江戸に戻った後、今戸から荒川を越えた五兵衛新田(足立区綾瀬6・7丁目)に拠点を移して隊士募集を行いました。
新選組は軍医の松本良順の仲介で五兵衛新田の名主だった金子家に20日間逗留し、新入隊士の募集を行ったそうです。
新編成となった新選組は227人の隊士を集め、慶応4年(1868)4月1日に五兵衛新田を出発しました。
量的再起ができた新選組は五兵衛新田から水戸街道を進んで、流山に本拠を移して隊士の訓練を行い質的再起を図ります。
流山では、隊士が野外訓練で出払っている時に、近藤勇と土方歳三ら数名が残っていた本陣の長岡屋が新政府軍に包囲され、近藤勇が出頭する事になります。
当時は大久保大和と名乗っていた近藤勇は板橋の本営に連行され、正体が露見し、刑場で斬首されました。