細野不二彦のまんが道『1978年のまんが虫』
巷でコアなオタクに注目されている細野不二彦先生の自伝『1978年のまんが虫』を、遅ればせながら読む事ができました。
隔月刊のビッグコミックオリジナル増刊号で、3話まで掲載されています。
雑誌を電子版で入手した後『細野不二彦初期短編集 A面』を購入したら、巻末に『1978年のまんが虫』の一話が特別収録されていました。
先に気付いていれば、雑誌を買わなくて済んだのに…(´・ω・`)
以下、人物名は敬称略で漫画をレビューさせて頂きます。
ベテラン漫画家の『煩悶する青春時代』
昭和40年代生まれのブログ主は、細野不二彦のキャリア初期に掲載された読切や、連載デビュー作をリアルタイムで読んでいた世代です。
少年期のリビドーをいたく刺激した『どっきりドクター』や、コミカルな『さすがの猿飛』が好きだったなぁ…(遠い目)
『Gu-Guガンモ』あたりで少年誌を読まなくなって、青年誌の『あどりぶシネ倶楽部』や『愛しのバットマン』『ギャラリーフェイク』などの作品を熱心に読んでいました。
細野不二彦はキャリアに切れ目無く第一線で活躍してきたベテラン漫画家ですが、デビュー前は自分に自信が持てなかったようです。
高橋由美子の登場に戦慄したり…
自分の実力不足に苛まれたり…と、煩悶する青春時代を送っていたようです。
高校時代から変人だった『河森正治』
高校時代のエピソードに、マクロスシリーズの監督で有名な河森正治が同級生として登場します。
サークル活動で合同誌を執筆する描写を見ると、当時から変人ぶりが際立っていたようです。
河森正治は、押井守監督の映画『立喰師列伝』で、インド人のような濃いルックスの『中辛のサブ』を演じて「チュカラ~!」と叫んでいました。(日本人に見えないけど、インド人ではない、という設定)
圧倒的画力の『美樹本晴彦』
高校時代の同級生には、マクロスシリーズなどのキャラクターデザインで著名な美樹本晴彦も登場します。
美樹本晴彦(本名:佐藤晴彦)は、作中では斎藤明彦という名前で『メチャクチャ絵が上手い友達』として描写されています。
あの細野不二彦ですら、美樹本晴彦を『驚異的な才能の持ち主』として羨望の眼差しで見ていた事が伺えます。
美樹本晴彦はのちに『超時空要塞マクロス』のキャラデザで鮮烈なデビューを果たします。(後ろで演説しているのは河森正治)
『超時空要塞マクロス』は、関東では日曜の午後2時という変則的な時間帯にオンエアされていました。
当時中学生だったブログ主は、日曜の午後、遊びにも出かけずに、マクロスをリアルタイムで視聴していました。
黎明期の『スタジオぬえ』メンバー
大学時代にスタジオぬえに所属していた細野不二彦は『クラッシャージョウ』のコミック版でデビューしました。
作中には、SF同人の会合で重鎮的な存在だったスタジオぬえのメンバーが登場します。
左端が宮武一貴、キャップを被った松崎健一、右端は加藤直之のようです。
右から二人目は、高千穂遙かと思ったのですが、眼鏡をかけていないので別人かも知れません。
高千穂遙先生とは、数年前にサイクルモードでお会いして、少しだけ話をさせて頂いた事がありました。(プチ自慢)
スタジオぬえの存在感
SF好きな漫画・アニメファンの間で『スタジオぬえ』は特別な存在でした。
往時からのファンにとって、モデルグラフィックス2019年7月号「スタジオぬえのエスエフデザイン論。」は永久保存版の一冊です。
高千穂遙は新進気鋭のSF作家として登場し、辛辣な言葉で細納不二雄(サイノフジオ)=細野不二彦を切り捨てます。
同様の内容では、島本和彦の『アオイホノオ』が先行していますが、あちらは大阪芸大(大作家芸大)が舞台でした。(若き日の庵野秀明や岡田斗司夫が登場)
『1978年のまんが虫』では『アオイホノオ』の登場人物より少し上の世代が活躍しています。
作中の丘の上大学は慶應義塾大学、高校は慶應義塾高等学校がモデルになっているようです。
連載は隔月刊の増刊号で、単行本化されるまでかなりの年月を要するため、雑誌掲載をしばらく追いかける事になりそうです。