古本ですが『ミノルタ“α”経営の現場』を読了しました。
α-7000で巻き起こしたαショックから、後継機となったα-7700iの開発、会社の創世記から千代田光学時代を経て、ミノルタブランドが躍進した経緯が綴られていました。
ミノルタかミノルタカメラか
千代田光学精工(株)からブランド名を含む「ミノルタカメラ」に社名変更する時に、創業社長の故・田嶋一雄が社名からカメラを外させなかった一幕がありました。
当時、カメラだけでなく事務用複写機や双眼鏡、プラネタリウムなど事業を多角化していた社内では「社名からカメラを外して欲しい」という要望が強くあったそうです。
しかし、一雄は"カメラ"に固執し、
「多角化をはかり、規模の拡大を目指すからといって、本業を忘れることの危険は大きい(略)」
「基本として忘れてならないのは"光学から離れない"ということだ」
「カメラは光学産業の中心にあり、いまでもそのことは変わらない」
「したがって、われわれの企業の中心である"カメラ"のことをいつまでも忘れないためにも、社名から"カメラ"は外さない」
と言って譲らなかったそうです。
流石、一代で会社を世界企業に躍進させた創業社長の言葉には含蓄がありますね。
オリンパスの社長に爪の垢を煎じて飲ませたい
オリンパスの竹内康雄社長は就任当初「デジカメ撤退」はないと強気の発言をしていました。
ところが、舌の根も乾かぬうちに「ポートフォリオの見直し」などと掌を返して、自らの手腕でカメラ事業を立て直すことを放棄しました。
結局、オリンパスが世界企業に躍進する原点となったカメラ事業を立て直すことが出来ず、投資ファンドに売却する憂き目にあった事からも、経営トップの能力が低く、認識が甘かった事が明白となりました。
故・田嶋一雄社長の爪の垢を煎じて飲ませたら、竹内康雄社長も「カメラは光学産業の中心」という認識を持つことが出来たのでしょうか…?